長崎県橘湾でカタクチイワシを漁獲している中型まき網船団「天洋丸」です~煮干いりこ、エタリの塩辛、自転車飯の素

真の漁師をめざして

優良賞 真の漁師をめざして~ 漁師は、特別な職業だ ~

橘湾東部漁協南串山青壮年部
小松 和仁

 こんにちは、橘湾東部漁協南串山青壮年部の小松和仁と言います。
橘湾東部漁協南串山支所では、煮干加工用のカタクチイワシを対象とした中型まき網やすくい網、かし網、ます網などの沿岸漁業のほか、ハマチを中心とした養殖業、大目流し網など沖合い漁業、と様々な漁業が行われています。

 私が、中型まき網を行う天洋丸の漁業研修生として、雲仙市南串山町で暮らすようになってから、もうすぐ2年が経とうとしています。

 私は、41年前、高知県安芸市で生まれ、学校を卒業後、鉄筋工として倉敷、大阪、姫路、神戸などを点々として働いていました。2年前の8月、勤務先の会社がつぶれ、これからどうしようかと考えていた時に、テレビで大日本水産会の漁業研修制度のことを知りました。小学生の頃、漁師の叔父の手伝いをしたことを思い出し、募集期間が終わっていたのを頼み込んで、天洋丸の竹下さんのもとで研修生として、受け入れてもらうことになりました。実は、私は十年以上も家族と連絡をとってなく、そのことを知った竹下さんに「連絡をちゃんとしないと研修生として認めない」と怒られ、勇気を出して電話をしてみると、姉から父が亡くなっていることを聞かされ、ショックを受けました。それが、南串山に来て1週間ぐらい経ったときのことです。すぐに、高知から母、叔父、姉二人が駆けつけ、涙の再会を果たし、その足で私も高知へ帰り、父の墓参りを済ませました。それから、研修生としての生活がようやくスタートしたのです。

 南串山での生活については、もともと不便なところで生まれ育ったため、車さえあれば別に困ったことはありません。何が一番苦労したかといえば、方言です。例えば、きびる、という言葉さえもわからなかったし、ましてや無線でとびかう言葉はなにがなんだかさっぱり理解できませんでした。

 最初は、天洋丸が休漁中だったため、まず乗船したのは、昭栄丸のすくい網でした。体力的には頑張れたのですが、深夜2時からの出漁は、少し辛かったです。でも、昭栄丸の人たちは養殖の仕事もしているのに、一体いつ寝ているのだろうか、と考えると「眠い」などとは口に出せませんでした。

 漁期がスタートし、最初に乗船したのは、まき網本船でした。力まかせに網を手繰り、仮眠室で横になっても、エンジン音でなかなか寝ることができずにいました。操業中、網の中にサワラなどが混じっていたときの乗組員のテンションの上がり方には、ビックリしました。みんなのキラキラとした目をみると、本当に魚が好きなんだなぁと思います。私も魚が好きで、小さい頃からよく食べていましたが、初めて食べたマナガツオの刺身は、本当に美味しかったです。

 次に、探索船に乗船したときは、何か失敗するたびに「なんばしよっとかっ」とどやされました。沖では風の強さ、風向き、潮の流れがそのたびに違います。いざとなるとどう対応すればいいかすぐに慌ててしまい、同じ失敗を繰り返してばかりいました。

 次は運搬船に乗船しました。オモテから本船へロープを投げ、本船から来たロープをローラーで巻き、網をロープできびる。そのロープのきびり方がなかなか出来ずに困りました。

 ロープワークは本当に苦手で、特につぼ入れができず苦労しました。漁が休みのときはちゃんと練習するように言われたものの、やり方を理解せずに適当に入れていたため、いつまで経っても出来るようになりませんでした。やっと入れ方を理解し、今では出来るようになりましたが、相当時間がかかりました。

 自分が乗った運搬船の船長には大変お世話になりました。ロープのきびり方、  氷を積むときのコツ、船の保守点検の大切さ、魚のさばき方まで、仕事以外のことも本当に色々と教えてもらいました。頼りにしていたその人が、2ヶ月前、突然亡くなったと聞いたときは、ショックで頭の中が真っ白になりました。お世話になった分、これから息子さんたちに恩返しをしたい、と心底思っています。

 私は今、運搬船の船長をしています。氷を積むなど、昼間の操船は、楽にできるようになりました。でも、夜となると、そう簡単にはいきません。レーダーやGPSをちゃんと見れないといけないし、距離感やスピード感をつかむのも難しいです。本船に付ける時のゴスタンをかけるタイミングや、他の船と集魚を交代する際、どのへんでスピードを落としたら上手く止まるか、スピードを落とし、行き足にまかせても、もしかしたら、手前で止まると思い、ゴーヘイを掛け、行き過ぎてしまうこともあり、なかなか上手くできずに大変です。もちろん大変なことばかりではありません。魚探とソナーを見ながら、このへんが良い反応だ、と思い、灯を入れて、灯にイワシが付いたときなどは本当に面白いです。

 この4月からは、水産高校を卒業したばかりの研修生と共同生活をしています。自分も最初は人から指示されないと動かなかったことを思い出し、また、モノを教えるときには、何をどういったら相手に伝わるか、考えて話をするように心がけています。相手にちゃんと伝える、コミュニケーション能力をもっと身につけないと、と実感しています。

 そして研修生が二人になったことで、食事作りと研修日誌の記録が、1日おきになりました。日誌は、研修生になったその日から、毎日書くことを義務付けられ、単なる研修内容を並べるだけでなく、1日にあった出来事、それについてどう感じたか、細かく書かされます。それに対し、竹下さんからは厳しいコメントが並べられ、落ち込むことも多いです。「勉強は出来なくても、漁師は賢くなくてはいけない。そのためには毎日考える習慣を身につける。」と言われ、最近では少しずつですが、日誌を書くことにも慣れてきました。

 私が住んでいる研修所には、青年部の漁業者仲間がよく遊びに来てくれ、この交流も自分にとっては大変勉強になります。また、近所の人達からは料理のおすそ分けをしてもらったり、日頃から、周りの多くの人たちに支えられています。

 私は、子どもの頃の夢の一つである漁師になれる、と思って、漁業研修生になりました。ただ、漁業という職業に就くことはできましたが、漁師への道のりはまだ遠いです。魚を捕るために必要な判断ができ、自分でしっかり考えて行動できるのが、一人前の漁師だと教わりました。季節に応じて、魚種に応じて、その時の風向きや潮の流れも考え、一番ベストなタイミングを見極め、判断できるようになること、そのためには、まだまだ学ばなければいけないことが沢山あります。まわりの人は、漁師のことを「ふなと」と呼びますが、早くみんなから「ふなとになったな」と認められるよう、まずは日々のどんな仕事でも手を抜かずに、力を出し切っていこうと思っています。

 最後になりましたが、今回代表として発表を打診されたとき、「人前で話すのが苦手だから」とすぐ断ろうとしたところ、「困難なことから逃げずに、立ち向かってこそ漁師。これも研修だ。」といわれ、強制的に発表させられることになりました。今回、発表を無事に終えることができれば、漁師への距離が少し縮まったかな、と思います。

 ご清聴ありがとうございました。

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