長崎県橘湾でカタクチイワシを漁獲している中型まき網船団「天洋丸」です~煮干いりこ、エタリの塩辛、自転車飯の素

海・家族のきずな

最優秀作文 「海・家族のきずな」 竹下奈希沙(南串山町立第二小5年)

 私は、家族が大好きです。そして、海も大好きです。私たち子どものために、お父さんとお母さんは力を合わせて、海と一しょに生き、私たちを育ててくれているからです。

 私の家族の仕事は、海からのめぐみを受けて行う仕事です。海から魚をとったり、とれた魚を加工して、いりこを作ったりする仕事もしています。

 お父さんは主に、海に出て魚をとる仕事の方をがん張っています。その中でも特に、五月から六月にかけての二十日間だけ、漁に出かけるモジャコすくいは、大変な仕事です。

 モジャコというハマチのち魚を、陸地が見えなくなるくらい遠い海まで出かけて行って、あみですくってとってくるのです。夜中の十二時か一時に船を出し、夜が明けるころようやく、漁場に着くのだそうです。

 私だったら、暗い海にぽつんといると思うと、さみしくなって 「帰りたいよぉ」と弱音をはくかもしれません。それに比べてお父さんは、「強いなぁ。カッコイイな」と思います。

 モジャコすくいは、一人の人は、船の一番先の上の方に座り、海に流されている海草を探します。そして、探し出すと、あみやぼうなどを使い、海草の下で泳いでいる、モジャコを海草と一しょにすくい上げるのだそうです。すくい上げる作業を三人でしているころには、船の先に座っている人は、次の海草を見つけ、船長のお父さんに、船のい動の指示をしているそうです。

 このような、聞くだけで手に汗にぎる海の上での仕事の話を聞いていると、「お父さんは、きっとその時、海と一体となってるんだな」 と思いました。

 そして、何よりも、お父さんから大漁だったという話を聞くのが私もうれしいです。海草が、次々と見つかったり、その海草に、たくさんのモジャコが泳いでいたりした時には、「仕事は、きつかったけれど、たくさんとれてよかったよ」と、帰って来たお父さんは、話をしてくれます。その時の、お父さんの顔は、笑顔でいっぱいです。そんなうれしそうなお父さんの笑顔を見ていると、私もうれしくなり、「本当に、よかったなぁ」 と思います。

 お父さんは、漁に出ている間、ほとんど一人で船の運転をしているそうです。きっと、ねむかったり、とてもきつかったりするはずです。けれど、お父さんは、私たち家族のために、がん張ってくれているのだなぁと思うと、とてもありがたいです。そして、このように一生けん命に海で働くお父さんを、私はほこりに思います。

 お母さんは、お父さんたちのお弁当を作ります。二食から三食分のごはんを、おにぎりにしたり、温かさを保つジャーに入れたりします。大きなタッパーに、たくさんの卵焼きなどのおかずを作り、入れます。

 お母さんが、一番気をつけていることは、船に乗っている人が、体調をくずさないように、いたみにくいおかずを作ることや、おなかいっぱい食べてもらい、少しでも仕事をがん張ってもらえるように、栄養のある、おいしいお弁当をつくることだそうです。

 船が出港するまでに、お弁当を作ったお母さんは、港まで車で、お弁当を持っていきます。そして、出港する船の姿がみえなくなるまで、「気を付けて、行って来てください」 と手をふって、声をかけ続けます。
その後、港の前の児島様に 「無事航海ができますように。大漁でありますように」 と、お祈りをして、家に帰ってくるのです。

 私は、お母さんは、お父さんを愛してるのだと、そして、そのお母さんの力に支えられて、お父さんもがん張っているのだと、強く感じました。

 広い海のどこにでも、たくさんの魚たちが泳げるようになると、モジャコすくいも、近くでできるようになって、お父さんの仕事も少しは楽になるのではないかと思います。

 魚の命をいただいて、私たちは生きています。私たちの命や家族を守るためにも、世界中の海を守る努力をして、魚を増やし、魚と仲良く生きていく方法を、私は、考えていきたいと思います。

 海は、私の家族にとって、かけがえのないそんざいです。南串山の海は、今日もきらきらかがやいています。私達の家族のように。 |

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